以前から気になっていたハローサイクリング。
登録は済ませていたんですけれど、なかなかタイミングが合わなくて。初心者用クーポン(?)が来たので、せっかくですからポタリングに行くことに。

はじめてのシェアサイクリング
ハローサイクリングに初めて登録した日のことを今でも覚えています(だって、3週間くらい前ですもの)。
予約ができるって聞いたので、「よし、明日の11時乗車の予約しよ」って、とりあえずアプリを入れて、予約らしきものを完了させた私は固まりました。
明日乗るつもりなのに、今から30分以内に来てくださいって…。深夜になりかけている時分、50km以上離れている場所にどうやって行く?
計算上は、時速100kmの移動で可能 →無理でしょ →即キャンセル。
そして、日時指定の予約はできないものか、検索、検索…
リテラシーがないと、こんな些細なことにも一手間、二手間かかります。
結局、できない!という当たり前のことを知るまでに十数分? これで、納得。
したつもりだったのですが、一応、日時指定の予約はできないの?というお問い合わせを、アプリ上でいたしました。
翌日、「できません」という丁寧なお返事が(問合せ担当の方、お手数をおかけしました)。
結局、その日はポタリングじゃなく、小田原の一夜城ドライブになりましたけど。。。
という前日譚があっての、満を持してのポタリングです。
今回は、30分前の予約すらしてません。ええ、しませんとも!
自転車は残っているのか?鍵を開けられるのか?ドキドキしながら、海老名ららぽーと前広場へ。
ここには、海老名市イメージキャラクターの「えび〜にゃ」の像があります。


こじゃれた店舗の脇に自転車みっけ!と思ったら、きれいな公衆トイレでした。中もとってもきれいです。


最近、この看板を見かけますよね。小田原のTOTOCOでもありましたし。色んなところにあるのなら、レール&ポタリングができるんじゃないかなと。

ハローサイクリングのアプリを開くと、使える自転車が何台か表示されました。いろいろと巡りたいので、バッチリ充電されているやつを選びます。スマホをサドル下の鍵の部分に近づけると解錠しました!すごい、簡単、かっこいい!
海老名城趾を目指したつもりが
そもそも、なぜ海老名へ?ってことなのですが、
目的は、泉橋酒造です。
バスやら、徒歩やらでちょくちょくお邪魔しているのですが、やっぱり自転車で行きたい!
できたら直行ではなくて、ちょっと寄り道できる所はないかな〜って検索をしていたら、どうやら海老名城趾なるものがあるらしい。なるほど、ではそこに寄り、歴史を感じてから、あっちこっちの道を巡って酒造まで行けばよい。
いざ出陣!となったわけです。

出発すると、清々しいくらいまっすぐな道に出会いました。時々止まって、スマホ画面で方向を確認します。
まわりを見ながら、この道でいいのかな?こっちの方がよさそうかな?
なんて、その道、その街、その風景と交流してる感じです。
いくつかの道を超え、いろいろ角を曲がると目的地に来ているハズなのです…
スマホの地図では目的地に到着しているのに、自分の目玉では住宅しか見えませ〜ん。
おかしいな、見えないってどういう事…?
そんなこんなで、うろうろしているうちに、やっと石碑が見つかりました(住宅街に秘められし石碑!)。

これは城趾…ではなさそうです。

一応、石碑は読みました。読みにくかったけれど、読めるところは読みました。
でも、「自然と歴史のさんぽみち」の方が読みやすい。
ここは城ではなく、海老名氏記念碑のようです。

どうも、目的地の設定を間違っていたようです。行きたかったところを検索、検索…再検索
真の目的地は、海老名氏霊堂らしいと分かりましたので、再出発!
城…なのか…、海老名氏霊堂へ
この日は天気も良かったので、ひなたぼっこをしながらス〜イスイ。自転車っていいですよねぇ^^

元気な声の響く幼稚園の近く。霊堂に到着しました。
「城趾」に対する私の勝手なイメージは、
空堀に 石垣高く 桜咲く
です(今冬ですが)。なので、ここはちょっと思ってたのと違う…

でも、書いてあります。
「700年くらい前には、この辺り一帯が本拠地であった」と。
そして、更に
「保元の乱で奮戦し、曾我物語にもその名が出てくる武士の本拠地」である、と。

つまり、「武士の本拠地」⇒「攻守の拠点」⇒「城」!
という脳内変換^^
第一の目標である海老名城は攻略しました。
後編では、相模川を遡上して酒造をめざします。
訪問日:2025年2月
【追記】本で調べてみたところ
気になったので、調べてみたら下記のような本を見つけました。
『神奈川の城〈上巻〉』
昭和53年5月20日 2版発行、編者 朝日新聞横浜支局、文 西ヶ谷恭弘(朝日ソノラマ)
その164〜166ページに「海老名城」があります。城に関する部分を以下に引用しておきます。
『高座郡海老名町の西北、電車だと小田急線厚木駅の真北に、かつてこの地方に威を張った海老名氏の居城があった。旧河田村、今日の有鹿小学校より有鹿神社、さらに東側「御屋敷」と呼ばれる一帯が城址である。』(164ページ)
『城は、鎌倉武士特有の平地に築かれた館城で、おそらく方形にいくつかの曲輪が「御屋敷」と呼ばれる所を中心に形成されていたと思われる。ちょうど相模川の流れが大きく彎曲する個所で、鎌倉防備の上でも要となる地点であった。廃城が比較的古く、その跡形すらない。』(166ページ)
霊堂の写真も掲載されており、そこには「城址に建つ城主の墓祠」という注釈があります。
やっぱり「城」でした^^